<第6話>九伝流創設までの道程(第2章)

【第2章】苦労した修行時代

 

  

<厳しい祖父の教え>

 

私の祖父は厳しくて、修行では竹の定規で何度も手を叩かれて、手が腫れてしまいました。

 

 

触診により患者さんの身体の何を触っているのか?

 

 

筋肉?血管?リンパ節?筋膜?骨膜?靭帯?

 

 

何が原因なのか?そして何を緩めるのか?認識しながらやらないとダメだ!!

 

 

 漠然と、ただ揺らしたり、動かしたりしているのでは、医術にはならない!!

 

 

と厳しい教えでした。

 

 

 

もちろん、祖父は直感や気功の感覚を教えてくれようとしていたのですが、当時の自分では、まだまだ理解するところまでいかず 、ただひたすら触診の毎日でした。 

 

 

また、ある先生のところでは、日常の気遣いについて、厳しかった。

 

 

「気」を配ることができないようで、なぜ「気」がわかる?が口癖でした。 

 

 

お茶を出すときも、いかにも、お茶を出しました!という押し付けがましい出し方では、捨てられました。

 

 

患者さんが寝ているときはもちろん静かに行動し、常に気をくばり、「気」というものに慎重になりました。

 

 

今の人たちには、わからないところかもしれません。

 

 

 

ある時、師が書き物をしているとき、退屈だなあと思ったら、師は間髪いれずに、

 

『横になってていいぞと言われました』

 

 

 

腹減ったなあと思えば、即、

 

『それならミカンでも食べろと言われました』

 

 

心の声というか、気がバレバレなので、そばにいて緊張しまくりでした。

 

 

まわりの状況を考えず、でかい声で施術している人を見て、何も考えずに、うらやましいなあと思ったこともありました。 

 

 

しかし、それは大事な大事な「気」を配るという体験でした。そこから、さらに、本物の修行をしていくことになります。

 

 

病気の原因を知る「気」というもの【悪玉】を知る練習になったのです。 

 

 

 

 

<整骨院では>

 

 

。。。患者さんの背中や手足をこっそり、触診していました。

 

 

その数、1日80人くらいですから年間2万人ほどなので、5年で10万人は超えていたと思います 。

 

 

そのうち、不思議なことに、祖父のいっていた、触診の原発部分で指が止まるようになりました。

 

 

その感覚は不思議なことに、直感が脳に話をするような感じでした。

 

 

患者さんとの共鳴とか共振、同調するような不思議な感覚なのです。 

 

 

ただ、ダラダラと施術ゴッコや作業的なものであれば、絶対に届かない境地だなと感じました。

 

 

大事なことは、

 

自分ではわからない、理解できないと蓋をするのではなく、自分の能力を開いていこうとすること

 

それが歩みなのです!実は楽しいことなのです! 

 

 

 

 第3章に続く。。。。

 

 

 

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